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第四話 偽りの結婚

ผู้เขียน: 月歌
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-07-04 15:39:54

砂利の敷き詰められた私道を、艶やかな黒塗りの舶来車が音もなく進んでいく。

車体には仄かに雲が映り込み、重厚なエンジン音が低く鼓膜を震わせた。

車窓の向こうに広がるのは、白壁に蔦の絡む三階建ての洋館。

左右対称の建築様式に大きな桁とバルコニーが誇らしげに立ち上がり、手入れの行き届いた庭園がその足元を彩っている。

「……ここが」

思わずこぼれた声は、自分でも気づかぬほどかすれていた。

隣に座る如月怜一郎が、軍帽を膝に置いたまま、淡く微笑む。

「真木伯爵家本邸。君の母君が育った場所だ」

「本当に、別の世界みたい……」

そう言いながらも、ひかりの胸にはどうしようもない緊張があった。

今にも弾き出されるのではないかという、不安とも劣等感ともつかぬ感情。

車が止まり、老執事がすぐさま車体に歩み寄って、深々と頭を垂れる。

「お待ちしておりました。如月様――いえ、本日より“真木家のお方”としてお迎えいたします」

「通せ」

怜一郎が短く返すと、玄関が開き、ひかりは屋敷の中へと足を踏み入れた。

黒檀の床に響く足音。高く吹き抜けた天井には、華やかなシャンデリア。

階段の壁には、数世代にわたる真木家の肖像画が静かに見下ろしていた。

まるで、何かの儀式が始まる前の神殿のようだった。

応接間の扉が開く。

中にいたのは、白髪をきっちりと撫で付け、軍靴の音が聞こえてきそうな佇まいの老紳士――真木家当主にして、ひかりの祖父だった。

「……来たか」

低く発せられたその声には、血筋の者にしか持ちえぬ威圧がある。

「娘に……よく似ているな」

そして、しばしの間を置いて続けられた言葉には、鋭い棘があった。

「だが、あの商人風情を、私は未だに赦してはおらん。娘を、家を、捨てさせた男だ」

ひかりは思わず目を伏せた。けれど、心の奥では拳を握っていた。

(母を否定されたまま、黙っているわけにはいかない――)

けれど声を上げようとしたそのとき、伯爵は片手を挙げ、すでに隣室から姿を見せていた文官風の男に合図を送った。

「……手続きを始めよ」

男は机に封筒を置き、中から一枚の紙を差し出す。

「まずはこちら。婚姻届です。両名、署名をお願いいたします」

文官の手によって差し出された用紙は、淡い色合いの婚姻届だった。ひかりは手元のペンをそっと握る。

如月怜一郎は、ためらうことなくその欄に筆を走らせた。

「如月怜一郎」

続いて、ひかりに視線が向けられる。彼女は一度深く息を吸い、目を閉じて心を整える。

そして、しっかりとした筆致で、記入欄に名前を書いた。

「有坂ひかり」

文官がそれを受け取り、静かに確認を終えると、落ち着いた声で告げた。

「これをもちまして、有坂ひかり殿は如月怜一郎殿と正式に婚姻を結ばれ、“如月ひかり”となられました」

――如月ひかり。

ひかりの胸に、ひとつの幕が閉じ、そして新しい頁がめくられる音が、確かに響いた気がした。

役人がそれを受け取り、うなずく。

「では続けて、戸籍整理の第二段階に入ります。伯爵家当主の承認のもと、怜一郎殿を“真木家の養子”として届け出る手続きを行います」

「承諾している。進めよ」

伯爵の短い指示に従い、再び書類が差し出される。

怜一郎が筆を取り、今度はゆっくりと、ひかりの目の前で名前を書いた。

「真木怜一郎」

「……完了しました。戸籍上、怜一郎殿は真木家の嫡男、ひかり夫人はその妻、すなわち“伯爵夫人”ということになります」

「……」

しばしの沈黙。

ひかりの中で、何かが確かに変わっていた。

先ほどまで有坂ひかりだったはずの自分は、婚姻によって如月ひかりになり――

そして今また、真木ひかりへと変わった。

名前がコロコロと変わる、不思議な感覚。

けれどその最終的な名が、母の旧姓である「真木」だったことに、言い知れぬ違和感と、わずかな温もりが入り混じる。

(――真木ひかり。母と同じ苗字に、また戻ってきたんだ)

それはまるで、遠ざけられていた家の扉が、ふいに開いたような気がした。

自分が、ただの“名ばかりの妻”ではなく――

この家に、そして母の記憶に、確かに足を踏み入れたのだという実感。

伯爵は腕を組んだまま、ゆっくりと頷いた。

「真木家は、時代が変わろうとも家格を捨てぬ。――怜一郎、今後は私の代わりに公の場に立て。私は、まもなく隠居する」

「承知しました」

そして伯爵は、最後にひかりへと目を向けた。

「おまえは今日から真木ひかり。“妻”としての役割を果たせ」

重みのある声が、部屋の空気を引き締める。

ひかりは静かに頭を下げた。けれど、その内心は穏やかではなかった。

(“妻”としての役割……)

それが、ただ戸籍上のものではないとわかっている。

祖父が求める“役割”とは、この家を守る者として、いずれ「跡継ぎ」を生すこと――

案の定、当主の目が怜一郎へと向けられ、ふと表情が和らいだ。

「早く、跡継ぎの顔を見せてくれるとよいな。真木の血を継ぐ子が、この家に必要だ」

その言葉に、ひかりの心が静かに揺れる。

――けれど、自分たちは、形式だけの夫婦なのだ。

怜一郎と交わしたのは、互いの目的のために結ぶ“契約”であり、愛情も、男女としての関係も、そこには存在しない。

だから、子どもなど、生まれるはずがない。

(……私たちは、祖父を騙している)

その思いが、胸の奥に小さな棘のように残った。

祖父がどんな気持ちで、自分を呼び戻し、怜一郎を養子に迎えたのか。

少なくとも今、この人は「未来」を信じようとしてくれているのに――

申し訳ない。けれど、今はそれを口にすることもできない。

ただ、黙って深く頭を下げるしかなかった。

その沈黙のなかで、怜一郎が静かに口を開く。

「承知いたしました。彼女を大切にして、必ず後継ぎをもうけます」

一瞬、ひかりの心が強く揺れた。

(……そんなこと、できるはずないのに)

けれどその言葉は、祖父の前で交わすべき“芝居”だった。

怜一郎がそっと手を伸ばし、ひかりの手を取る。

驚いて顔を上げると、彼は静かに囁いた。

「君も……いいね?」

その眼差しは真っ直ぐで、どこか優しかった。

「……はい、玲一郎さん」

ひかりは小さくうなずいた。

――こうして、偽りの結婚生活が始まる。

侯爵家という格式の中で、愛も真実も持たぬまま。

けれどその日、ふたりは確かに“夫婦”となった。

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